母校の生徒とすれ違った話。
まず自己紹介だが僕はいたって普通の大学生だ。
変なところと言えば少し世界をうがった見方で見ていることくらいだろう。
午後七時の東海道線は平塚駅に着くころでも立ち客がかなりいる。僕は出口に近い14号車に立つことが日常だ。
電車が駅に着くと普通に改札へ行き普通に出ていく。ここで普通は南口へ向かい帰るのだがコーヒー好きな僕は駅ビルの三階にあるコーヒー屋にさも買いたいものがあるんだオーラ全開で立ち寄りコーヒーを受け取り飲んでいくことが多い。そのコーヒー屋は名前は書かないが全員が知っているようなチェーン店である。
さてここからが本題である。僕は一瞬でコーヒーを飲み干し店を後にしようとしたのだがその時にある高校生(母校である)の生徒とすれ違った。
僕は思わず二度見してしまった。
その子が可愛かったから、否。
その子のスカートが短かったから、否。
その子のおっぱいが、(以下略)(笑)。
なんとめっちゃ不細工だったのだ。
そのくせ目にはほとんど女の変化に気づかない僕が見ても明らかな化粧をしていた。
夜の七時だからおそらく部活帰りだろう。そのブスは駅ビルを一人で歩いていた。
今思い返したら僕の中高生活は悲惨だった。まあいずれ書こう。しかし今思い返しても、学校帰りに駅ビルによってカフェでだべるだの服を見るだのする友達はいたような気がする。
ここで導かれる仮説は、一つ目、そのブスはブスゆえに一緒に駅ビルへ行く友人がいない、そして二つ目は母校は一緒に駅ビルへ行く人を作るのがむずかしいほど個人主義になってしまった、というものだ。
まず一つ目についてだが、僕が二十数年生きてきた率直な感想として顔はかなりその人の人生に重要なファクターであるという事実である。これについてはきれいごとを書くまでもなく、おそらく世の中の全員が暗黙のうちに知っているので割愛しよう。問題は二つ目である。
昨今、これはおそらく僕の母校に限ったことではないだろうがSNSがめっちゃ普及している。これはこれでいいのだとは思う。しかしなんだろう、本当の人のつながりを僕はほとんど感じなくなっている。
これを読んだ人は回顧していただきたいが今日話した人は何人だろうか。僕は家族含めて7人だった。この世界には70億人がいるらしいのでその10億分の1ということになる。
一方でSNSで投稿をみたひとは何人だろう。僕の場合おそらく100人とかその程度のオーダーになると思う。
つまり今、現実として本当に話している人は限りなく少ないのにインターネットで接している人は以上に多いという現状がある。
しかし本当に大切なのは人と触れ合うことである。
会いたい人に会いに行くことはほんとうにめちゃくちゃ大事なのである。
会いたい人に会える予定があるだけで生きるモチベーションがわくものなのだ。
僕には今それがない。
正直言って死にたくないから明日を生きているようなものだ。明日も正直に言って24時間のうち12時間はつまらない大学の研究に消費される。(通学時間4時間含む)
僕は8時間は寝たい思っている。これでもうあわせて20時間。残りは4時間だがこれしか自分のすきなことに費やす時間が僕にはないのだ。
これが僕が大学をやめたい理由のすべてといってもよい。
高校時代、はっきり言って僕の成績はよかった。正直勉強についていえば思い通りの成績でないことはなかったといってよい。
しかしそのツケがまわってきたのか僕は第一志望の大学にあっさりと落ちた。
そこから今日まで約3年3か月だが地獄の日々だと言ってよいだろう。
なぜなら同じことは何度も書かないが最悪の日々だからである。
僕は今日ここに宣言するが、今こそこの地獄から逃げ出そうと思う。何度自殺を考えたかわからない。あの時志望校に受かっていればよかったと何回も思う。落ちたと分かった時平塚→大磯間の跨線橋から自転車を落として警察に捕まればよかったとさえ考えた。
しかしなぜか今僕はここに生きて存在してしまっている。
生きてる理由なんかない。
だけど死にたくもない。
存在におそらく理由はないだろう。
とりあえず進まねばならないだろう。
すれちがったブスに僕はこれを思う。以上