ゴールデンスランバーを読んだ
ゴールデンスランバーを読んだ。
前からずっと読みたいと思っていた作品だったがついに図書館で借りて読む機会を手に入れた。
平凡な男が突然首相殺人事件の犯人に仕立てられてしまうという突飛な内容となっている。
しまいまで誰が(何の組織が)本当に首相を殺害したのかと言うことには触れられない。事件の全貌が明かされないというのが他のミステリーとは異なるところだ。
ここでいいなと思ったのは、主人公の青柳正春が首相殺しの犯人に仕立てられて、世の中のほとんどが彼を犯人と思っても、彼の身の回りの人々は彼の無実を疑わないということだ。
彼が逃げようとすると彼を知っている人は警察という妨害を受けながらも彼の逃走を手助けする。そしてもっといいのは、事件の後、彼を知った人さえも彼の逃走を手助けしてくれる、ということだ。
いま世の中はリスクの世の中だ。僕は別の記事で毎日2時間かけて大学に通っている。毎日できるだけ座っているようにしているがもし痴漢に間違われただけでそれまで積み上げてきたものが全て崩れる。
そんな状況に運悪くなってしまったら周りの人は僕の無罪を信じてもらえるのだろうか。そんな状況をふと考えた。
多分、誰かがその人を判断するのは人間力、といったものだと思う。
作家はほんの数行で登場人物を表現する。
西野はボサボサの頭を掻きながら喫茶店に入った。すれ違った客を見下すような目つき、ヨレヨレの服はおおよそその喫茶店に似合わない。入口近くの女性客が、危険がないか確認する視線を送ったことに西野は気づくはずもなかった。
この文章を読んで、西野という男にいい印象を持った人は少ないだろう。少なくとも少し乱暴な男を想像し、よほどひねくれた人でなければイギリスの紳士淑女を思い浮かべることはないと思う。
同じような理屈で人間の印象はほんのちょっとのセリフ、仕草から察せられてしまうことが多いと思う。普段からよい人間に思われる生き方をしていきたいものだと思った。
ネタばれになってしまうので読んでない人がもしいればごめんなのだが、主人公、青柳正春はある大きな組織(おそらく)によって抹殺されてしまう。抹殺された後、彼は顔を整形することによって別人として生きていくことになる。
彼はおおぴっらに首相殺しの犯人と言われた青柳正春は実は生きている!というようなメッセージを発することはない。むしろ逆で静かに、彼のことを知っている人であれば、あ、生きているんだなと実感できるかたちで存在をアピールしている。
思えば人間は居場所というか生きる理由を常に無意識のうちに探しているんじゃないかと僕は思っている。主人公がこの後の人生で居場所を見つけるまでの物語が気になるばかりである。